2019.06.17

主役はダッジ・チャレンジャー

マンハッタンがマッスルカー色に染まった。9番街のハドソン川沿いのジャコブス・コンベンションセンターに今年も、アメリカンマッスルカーたちが集結したのだ。4月中旬に開催された恒例のニューヨークモーターショー。毎年、最新のスポーツカー、スーパーカー、そしてマッスルカーが勢揃いするイベントとして世界が注目している。その中心にドォ.ンと構えていたのが、ダッジ・チャレンジャーである。

チャレンジャーの最新動向をご紹介する前に、ここへ来てチャレンジャーを含むマッスルカーの販売がアメリカで絶好調になっている背景を知っていただきたい。

マッスルカーといえば、1960年代中盤から70年代初頭が最盛期だと言われてきた。第二次世界大戦後にアメリカは経済大国として急成長し、当時の米ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)や様々な新興メーカーが次々と新作を市場に放った。トレンドとしては、「ボディは立派な方が良い」、または「ハイパワー・ハイトルクは必然だ」という大型化の志向が主流となった。そうした中で、2ドアクーペというモデル領域のスポーティ版としてマッスルカーたちが生まれた。周知の通り、フォードはマスタング、GMシボレーはカマロ、そしてクライスラーはダッジ・チャレンジャーがマッスルカー御三家となった。

だが70年代中盤になると、マッスルカーは事実上、死滅した。厳しい排ガス規制であるマスキー法の施行、さらに世界的なオイルショックによるガソリン価格の上昇が、大食いマッスルカーの息の根を止めた。

80年代になると、マスタングもチャージャーも「名ばかり」の状態で、小型スポーツカーに成り下がってしまう。そうしたマッスルカー冬の時代が2000年代になり、やっと終わる。マスタングをきっかけに60~70年代のマッスルカーのイメージに原点回帰する動きが出てきたのだ。この時期、クライスラーはハイパフォーマンス系の開発チームを再構築した。まず、社内プロジェクトとして「スカンクワークス」を立ち上げた後、ブランドとしてストリート&レーシング・テクノロジー(SRT)を正式にデビューさせた。

SRT創設初期、チャレンジャーの姿はまだなかった。当時、クライスラーは独ダイムラーからの資本参加を受けており、メルセデスベンツとの部品共用などが目立った。SRT4、SRT6、SRT8、SRT10といった小型から大型モデルまでのフルラインアップ体制を敷いた。だが、300Cやマグナムが主体であり、チャージャー、そしてチャレンジャーが60~70年代のイメージで再登場してもSRTの主流にはならなかった。

■アメ車マガジン 2019年8月号 掲載記事より抜粋

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